本の話が続いてどうも恐縮なのですが、河出書房新社という出版社がありまして
昔はよく読んでお世話になりました。スタグフレーションということもあり本の値段
も上昇しており、かつ、多分ですが紙ベースでの読書を好む層は減少傾向だろうと思われる
ので、本が何かとすぐに絶版になります。なので、復刊とかさらに遠のく感じですね。
河出書房は岩波書店とともに結構「まじで?」と思わず声が出る復刊をしてくれるのですが、
この春にジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』の完全復刊をするという告知が流れてました。
昔に勢いで読んだけど買うには至らなかった記憶があるのですが、どうしようかなと思い
とりあえずHPを見て確認。やはり価格を昔の感覚で見ると「!!!」という衝撃が来ます。
仕方ないんでしょうが。あと、これ長編なので「1日で読む」というのは現況では厳しそうな
気がします。ただ、どちらかというと一気に読んだほうがいいタイプの本だった気がします。
なんと表現して良いのか属性の入れ替えのようなことが頻繁に行われるので間をおいて読むと
さっぱり分からなくなる記憶がうっすらと。
本を買って途中で読むのを止めるというのはほとんどしないです。ですが、数冊どうしようもなくて
挫折した本があります。ここからが自分でもなんなのかよく分からないのですが、その挫折した
本を読み直そうと突如思い立ったとき(まあ、大抵本屋にいるときですが)に当該書籍をですね、
なんというかまた購入してしまうのですね。自宅の書棚のどこにあるかを脳裏で再生しながらも「再購入」
するんですね。ある種狂気を自分でも感じますが、挫折したことをそこで記憶を改竄するかのように
もう一度買うんです。その時の心理状況は自分でもよく理解できません。
ちなみにそれで3回ほど購入した本が一種類(1冊とは言えないので)あります。
実はこの度また買おうとしています。値段は1回目と比べて1.5倍ほどの価格上昇でした。スタグフレーション
怖いです。
本を購入すると1日で読みたい人なのです。なので、長編というものがもう読めなくなって
しまいした。それどころか、そもそも本を読まないという状態で悲惨です。本を読むという
行為はどちらかというと旅行に行く感覚でそれが分割して行われるというのは不可能な感じ
です。積読とかいうのもどちらかというと好きではなくて、このへん難しいですね。
歳をとってくると懐かしさも手伝って昔の本を探したりするのですが、驚くのはその価格の
上昇ぶりです。岩波文庫のペラペラなやつとか四百円くらいで買えた気がするのですが、
千円近かったりするわけです。さらに厄介なことに本の紙魚というやつが壮絶に嫌いで
出来れば新品が良いという癖があります。岩波文庫とかすぐに黄ばんでくるので(紙質で
しょうか?)、紙魚の気配を無駄に感じて身悶えしたりします。
どうでもいいことを書こうと最初に決めていたにも関わらず、どうでもいいことなので
書くほどでもないというジレンマに囚われていたことにさっき気づいてて慄いているの
ですが、関西人にはツッコミという特性がありまして、それは他人様のみならず自分にも
向けられるわけです。なるほど更新が滞るわけだと一人で勝手に納得してそれを免罪符に
しようとしている自分を自分にツッコミを入れていました。少しでも誰かのためになる…、
と大義を持ち出してくると誰かのためになる何かをあまり持ち合わせていないので
何も書けなくなるので初めに「どうでもいいことを書こう」と決めていたのです。
でも、どうでもいいことってどうでもいのですぐに意識から排除されてしまい残らないのです。
この業界のお仕事というのは個人情報を含むものが非常に多く、かなりの部分が守秘義務の
対象になると考えています。なので、ブログとか日記というものにそういったものは仮に
ニュアンスで済ませたとしても載せるつもりがなく、かといって自分のプライベートには
誰も興味がないに決まっているので(以下略)。
このくだらないうだうだを自分の中で何周かさせたら妙にスッキリしたのでやはりこの
日記には「どうでもいいこと」を中心に書いていこうと思います。もし、閲覧されている
方がおられましたらそういう趣旨の場所なので…。
この手の日記に限らずですが、すべからく「継続すること」というのは難しいことが多いです。
結果として継続していることというのは「継続する」のではなくて、そうしなければ
続かないことであることが多いように思います。こう書いてしまうと早々に結論が
出てしまうというか、要は「継続せざるを得ない」ようなことでなければ継続しないので、
そうでないものを継続することを目標として設定するのはそもそも悪手なんでないかと。
目標立てて失敗が続くと自己肯定感が著しく下がるとかいう副作用も附いてきます…。
個人的に目標を立てるときは常に長期継続性を考慮します。やる気がなくなった時でも
当該事項を継続できるキャパが「現在」の自分にあるかどうかとかそんな感じです。どうせ
やる気はすぐに無くなってしまう(!)ので、やる気ゼロベースで継続可能かどうかを
考えないとそもそもやる気にならないタイプです(面倒くさい奴なのです)。
なので、常に目標は低めに設定します。高すぎる目標は一瞬いい感じになるのですが、
所詮ドラッグの類に近いのではないかというのがこれまでの経験上一応得た感覚です。
あと、遮二無二頑張っていると人の目を引くので進捗状況とかチェックされるの嫌ですね。
ナマケモノのようなスピードだと誰も気にしなくなるのでこちらのほうが継続可能性が
高くなります(個人差あるかと思います)。こういうのって逆説的ですが、却って
競争社会向きなのかもしれません。競争大嫌いですけど。